I See YOU!
2025.05.12
「ああ……エナ」
思いがけず、私の痩せた喉から感嘆で粘ついた声が絞り出される。赤い糸を繰る指先の動きが鈍くなる。目深に被ったバケットハットが濃い影を落とす眼窩。そこにしっくりと嵌まった眼球がカクカクと震え出す。
淑女を前にして紳士な態度を貫こうにも、私にはどうすることもできない。口角を吊り上げ、並んだ歯を剥き、しぃ、と息を吸い込むようにして嗤ってしまうのだ。
崇高な君が、私の目の前に可憐に立っている。それだけで私の全ては可笑しくなりそうになる。
「お目にかかれて、光栄だよ」
私よりずっと、ずっと小さな彼女の体躯を、軍帽を被った頭の先から黒い靴の爪の先まで。じっとりと見下ろす。
「私は、今まで研究を重ねてきたんだ、エナ。とても、長い……長い時間を費やしてね」
『百聞は一見に如かず』という言葉がある。百回にわたって人の話を耳で聞くよりも、一回でもよいから自分の目で見た方が確実であるという意味の言葉だ。
……私も、その通りだと思う。
何者かが彼女を騙ろうと百の言の葉を紡いだとて、彼女の全てがそこに収まり切ることはないだろう。角張り、また、丸みを帯びた体。つながらない頭、胴体、四肢。そこに宿るふたつの人格。彼女と実際に対峙し、目を合わせ、言葉を交わしたとき。今までにないほど、とてつもなく心が震えるのだ。
君のことをわかっている人なんて、誰ひとりいない。私だけだ。真の意味で君を理解しているのは。
「悪く受け取られたら申し訳ないのですが……それって、プロのストーカーってことですよね?」
彼女が首を傾げ、怖じ気づく様子も見せずに私の目を覗き込む。その無垢な瞳が、私の胸の奥を擽るようだ。
「いいや、違うね。違う、違う。断じてそうじゃないよ」
よくある間違いだ。だが、いざ君にそう言われるとなると、悲しいものだ。
私は君に対して、無闇につきまとったり、じっと待ち伏せをしたり、安全や平穏を乱す行為をしたり……そんなことは絶対にしない。
君は、どこでも不人気。どこに身を置こうと歓迎されない。それを知りながら私は、長い……長い時間を費やして君を研究してきた。私は、君からのリアクションなんて何一つ求めなかった。ただ、君をもっと知りたいというその一心で君を見ていた。これほど『愛』としか形容しようがないものは、他に例を見ないだろう?
「君が、私を見てくれているなんて……夢のようだよ」
しかし、こんなにもよく出来た私であっても。言い方は良くないが……実際に『ターゲット』を目の前にすると、なんというか。紳士然とした理性が、移ろうように揺らいでくるのが自分でも分かる。
「夢、ですか。実にロマンティックな例えですね。そう思うのならば、試しに私に触れてみてはいかがでしょう?」
彼女が、悪びれる様子もなく私に向けて両腕を広げて微笑んでみせる。
「夢なら何も、悪いことではないのですよ」
手の力が抜け、ベルを取り落としそうになるのを辛うじて堪える。ちりん、と高い音が響く。五指の先で赤い糸が惑う。
彼女は、少しも動じない。むしろ悪戯にからかってくる。どうすればこの余裕めいた態度を崩せるのだろうか。
君の、頭、胴体、四肢。それぞれを慈しむように、この巨大な手のひらで力を込めてきつく抱き締めていったなら。もっと。もっと、砂利のように細かくバラバラに砕け散ってしまうのだろうか?それとも、宝石の劈開のように、ぱくりと大きく裂き開かれるのだろうか?
この赤い糸に君を絡めたい。蜘蛛の糸に囚われた蝶のように、糸に触れる君の体を想像するだけでぞくぞくする。右の半身はその角張った形に沿って直線的に糸が沿う。左の半身はその丸い起伏に食い込むように曲線的に糸が沿う。その体の断面やショートパンツの端に引っ掛かった糸が、かり、と啼くのを聴きたい。
ああ。もう、ああだこうだと考えを巡らせているだけで、眼球とつながった頭蓋の内がブチブチと焼き切れてしまいそうになる。
本当に君の全てを刮目してしまったならば、私はどうなってしまうのだろうか?
まるで保護者か何かのような、あの彼……ビジネスパートナーの蛙さえいなければ、君をこの手の中に閉じ込めていたけど。それでも。その手を離れてまで私のところに来ることなど決してない君が、私は好きだ。
いつまでも手中に収まらない君を、私は愛している。