向日葵
2025.06.14
ああ、エナ。彼女が私の目の前で、吊り上がった右目と垂れ下がった左目を同じだけクッと細め、愛らしく笑っている。その笑顔は、どんな花より美しい。
そして私たちは、お互い生まれて初めて見たと言っても過言ではないような……荘厳で広大な花畑の中にいた。
生命力の欠片もない渇いた地面に、どうしたわけか力強く根を張っている、大輪の花々。背の高い私すら見下ろす彼らはまるで、太陽の名を冠しているとは思えないほどに深い藍の陰を落とす。目深に被った帽子越しに天を仰いでも、夕暮れのような不気味な色彩の空すら覆い隠されている。
心がただ、ざわざわと揺れる。ここは、風すら吹いていないのに。
「なんと素晴らしい!私、こんなに美しい場所はいまだかつて見たことがありません!もっと奥の方へ行きましょう、貴方?」
少女らしい好奇心に溢れた両手。角張った四本の指とミトンのような丸い手指が、あやとりの赤い糸ごと強く、私の手を引く。
「ちょ、ちょっと待ってくれっ」
地面に這わせた、私の巨大な手。その五指がびんと強張り、砂をザリザリと引っ掻き散らしていく。彼女の肩と腕はそれぞれがつながっておらず、ふわふわと宙に浮かんでいる。それなのに、どこからこんな力が湧いてくるのだろう?
「どうかしましたか?」
いや、違う。彼女の真っ直ぐな視線に、今。誰よりも近くで射抜かれて……惚けたように私の力が抜けてしまっているだけなのだ。
彼女の顔の左側で愉快そうに笑っていたベージュの唇が、窄まるように消える。同時に、彼女の顔の右側を朱く裂くように、不機嫌そうに曲がった口が表れる。
「……アンタ。初めてのことが、そんなに怖いのか?」
愛おしさにとくとくと高鳴っていた心臓をぐっと鷲掴みにされたような、鋭く冷たい感覚。
だが、決して彼女が恐ろしいわけではない。自分の心の弱い部分を自分の前に的確に曝け出されて、動揺を隠せなかっただけだ。
「飽きもせずにずっと長いことアタシのことを盗み見て。決まった手順通りのことをあやとりみたいに繰り返すのは大の得意なのにさ。何か少しでもエラーが発生したら、ニタニタ笑うのも忘れてそうやって怖がってんだ……」
……この弱虫。
指先の力が強められ、その尖った爪先が私の皮膚に軽く食い込む。彼女の言うとおり、私はいつもの笑みさえ取り繕うことができない。歯に衣着せぬ言葉で心が軋む。だが彼女の言葉は紛れもなく本当のことだと自分でも思う。私はその事実を咀嚼し嚥下する過程で、この鈍い痛みを感じているのだ。
「この不可思議な世界に身を置いていたって、どうにも受け入れ難いことはある。アンタの気持ちはわからないでもない。どうしてもイヤだってんなら別に引き返してもいいよ。でもさ、アタシは……アンタと一緒にここに来たいって、前から思ってた、から……」
その、もうちょっと付き合ってよ。
なんということだろう。
私に対して苛立ちを抱えながらも、それを抑えて自分の思いを伝えてくれる彼女が愛おしくて。そして同時に、自分がとても、とてつもなく矮小なものに思えて、全ての手指で自分の体を繭のように抱いてその場に蹲りたくなる。
「こんなに情けなくてすまない、エナ。一緒に行こう」
「……ありがとうございます」
私の手を取り、そのまま骨張った手の甲に軽くキスを落とす彼女はまた、ベージュの唇を吊り上げて美しく笑っている。
「どうしても耐え難いのであればおっしゃってください。そのときは無理せずに引き返しましょう」
私が、こんなにも愛でられるなんてこと、あってよいのだろうか。彼女をずっと見てきた自分の目を疑ってしまうほど、彼女の愛は計り知れない。
「君は、私と一緒にここに来たい理由があると言っていたけど、それは一体なんだい?」
「この花々を見て、すぐに分かったのではないですか」
「え……?その……背が高くて、私に似てる、とか?」
「そうです!貴方に本当にそっくり!背が高くて」
いつの間にか彼女は、私の隣に寄り添うように歩いてくれていた。
「私だけを見つめてくれるから」
あんなにも身勝手で気味の悪い『研究』。決して肯定されるべきものじゃないのに、君はそれでも私を赦してくれる。行くべき場所、話すべき人がたくさんあるだろうに、君はそれでも私の傍に来てくれる。
そんなことをしたら、君以外見えなくなってしまうじゃないか。
「……エナ。なんだか、眩しいよ。ここには太陽すらないのに」
思わず、歩みを止める。夏の日射しが肌を刺すように眼の奥がじりじりと熱い。
「ご存知ですか?この花は、ずっと憧れたように太陽を見上げているわけではないんです。花が開くと、東の方角を向いたままになる」
私よりずっと体が小さな彼女を見下ろしているはずなのに、果てのない青空を見上げているような……救われたような。胸を撫で下ろすような。そんな晴れやかな気持ちになっていく。
「私たちは、太陽とひまわりのように……互いに見つめ合うことは充分にしました。これからは、ともに同じ空を見たい。私は、貴方が私の人生を永遠に変える愛をくれたことを確信しているのです」
彼女が私の背中に手を回して抱き締める。返事の代わりに四本の腕でその背中に触れてきつく抱き締めただけで、眼の縁からあたたかい熱が零れてしまった。
ひとりじゃ何も見通せなかった昏い世界の先が、今はなんとなく見える。
『恋は盲目』?なんとでも言え。彼女の愛で、私は光を得たのだから。