髪の乱れは心の乱れ

2020.07.06



楽士との闘いの合間の自由時間。部員はみんな駅前でリフレッシュしに行き、私と鐘太先輩だけがキィトレインに残っていた。
座席に腰掛け、スマートフォンでGossiperを開き、楽士の情報を集めていると、スマートフォンの画面に影が差した。顔を上げると、鐘太先輩がすぐ目の前に立っていた。

「部長くん、髪が乱れていますよ」
そう言われてハッとする。楽士やデジヘッドとの闘いに明け暮れていて、今日はまだ一度も髪を結び直していなかった。
視界に掛かる髪を払おうとすると、すぐに鐘太先輩の手が伸びてきて髪を顔の脇に撫でつけられた。リドゥでは同じ高校生の姿だとしても、異性に、それも大人の男性に触れられて、少しどきりとする。
「髪の乱れは心の乱れですよ!」
鐘太先輩は風紀委員らしくいつもの調子で言う。
「そ、そうですよね。今直しますね」
近くに置いた鞄から櫛を取り出して膝の上に置き、ヘアゴムに指を通して髪を解く。

すると、それを見ていた鐘太先輩が口を開いた。
「…君さえよければ俺が結び直して差し上げましょうか」
「えっ」
予想外の行動が続いて思考が追いつかなくなる。
今日の鐘太先輩は一体どうしてしまったのだろうか。

「逆に…いいんですか?」
「ええ。君には世話になってばかりだから、これくらいはさせてほしいんです」
世話になってばかり…か。戦闘では私の方が彼のお世話になっているけど、彼がそう言うなら厚意に甘えた方がいいんだろうか。
「じゃあ…お願いします」
鐘太先輩に櫛とヘアゴムを渡し、隣に腰掛けた彼に背を向ける。

緊張しているのか深い呼吸音が聞こえた後、そっと手が添えられ、髪が櫛で梳かされていく。
「…髪、長いのに全く引っかからないですね」
「そうですか?現実でも髪のお手入れをするのが好きだったからですかね」
「俺は毎朝しっかり固めるだけで終わりですから、女子の髪のお手入れ方法には興味がありますね」
「やっぱり自分の髪とは勝手が違いますか?」
「柔らかくてしなやかで、自分の髪とは全然違います。加減が難しいというか…」

いつものように他愛もない会話をしているが、鐘太先輩に髪を結び直してもらっているこの状況が普通じゃない。なんだか落ち着かない。私は彼の真意を尋ねることにした。
「それにしても…どうしてこういうことを?」
「言ったでしょう。君には世話になってばかりだから、これくらいはさせてほしいと。…もしかして、嫌でしたか?」
「嫌じゃないですけど、鐘太先輩こそ大丈夫ですか?嫌だったら止めてもいいですよ。髪なんて自分でも結び直せますし」
「嫌なわけありませんよ!ただ…」

鐘太先輩の手の動きが止まる。
「…ただ少しの間でもいいから、君と一緒に話がしたかっただけですから…」

その小さな声に釣られて勢いよく振り向いてしまった。
鐘太先輩は顔を真っ赤に染めたまま、手の中から零れ落ちた髪の束を目で追って困惑した表情を浮かべていた。
「だーっ!どうして頭を動かすんですか!また一からやり直しですよ!」
両手で頭を掴まれて前を向かされる。思わずくすくすと笑ってしまう。

「もう動かないでくださいね、部長くん」
再び櫛が毛の流れに沿って動き、鐘太先輩の手が私の髪をかき集める。
そうだ。私は彼と過ごす時間が嫌いではない。むしろ好きなのだ。それは、彼も同じだと思う。だから、今みたいにほんの少しの時間さえあれば傍にいようとする。きっと私は現実でも彼と一緒に悩んで、彼と一緒に笑って、ずっと彼の傍にいるのだろう。

「これでいいと思うのですが…むむむ…」
しばらくして、選択を迷う鐘太先輩の声が聞こえてきた。髪の束から手を離してまた一からやり直すべきか、ヘアゴムで結わえて終えるべきか。
「君、やり直すべきか終えるべきか…決めてくれませんか?」
私は、髪を乱さないように気をつけながら自分の頭を触ってみる。特に撓みもなく、後れ毛もなく、几帳面な彼らしい完璧な仕上がりだ。
「私は終えるべきだと思いますよ」
「…ちょうど俺もそう思っていたところだったんです!」
鐘太先輩は嬉しそうに言い、ヘアゴムで髪を結わえた。

「ありがとうございます、鐘太先輩」
「礼には及びませんよ、部長くん」
スマートフォンのカメラで鐘太先輩に結び直してもらった髪を確認していると、小さな歌姫が私の体からにゅっと顔を出した。
「ハンシン!せっかくの自由時間だ!駅前に行くぞ!」
今まで空気を読んで黙っていてくれたキィに小さな声でお礼を言うと、いつの間にか止まっていたキィトレインのドアが開いた。

「さあ、牛丼でも食べに行きましょう!鐘太先輩!」
鞄を背負うと、私は鐘太先輩の手を取って走り出した。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
少し困った声を上げた鐘太先輩が呟いた言葉を、私は聞き逃さなかった。

「心が乱れていたのは、俺の方だったのかもしれませんね…」



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