仲直り

2022.01.04



私は黒い革張りのソファに座り、大きな白いクッションを胸に抱き締めていた。テレビを点けてニュース番組を流すが、いまいち集中できない。

今日も彼が帰ってきて、いつも通り彼中心の日常が回るはずだった。それなのに、私は今日に限って彼の言い放った嫌味をわざわざ拾い上げ、怒りを露わにしてしまった。彼に楯突いたのだ。どんな命令にも背いたことのなかった私が。
彼は私が勢いで普段の不満も吐き出すのを見て、目を見開き、あまり見たことのない顔をしていたが、すぐに顔に不機嫌さを貼り付け、舌打ちをした。そして彼にしては表現が控えめな言葉を一言二言呟いたあと、私たちは冷戦状態になった。
私がいつも彼に投げかける他愛ない話題も、ない。私はただひたすら家のことをする。彼が私に何か物を持ってこいと言うことも、ない。乱雑に棚や冷蔵庫を漁って、目当てのものを引っ張り出す。そしてお互い無言のまま、夕食もお風呂も終え、今に至る。

クッションに顔を埋める。
…やってしまった。脳内はそんな感情に支配されている。
自分でもどうしてあんなことをしたのか分からない。もしかしたら、月に一度来るものの影響なのかもしれない。
どうやって謝ろう。私が謝らなければ、この冷戦はずっと続いてしまう。WIREで謝ろうか?駄目だ。あの人は私の口から謝罪の言葉を聞きたいはず。明日の朝謝ろうか?いや。朝は忙しくてピリピリしているかもしれない。軽々しく話しかけたら殺されるかも。誇張ではなく、本当に。

とりあえず、今日は寝て、明日考えるか。
私はクッションから顔を上げると、クッションをソファの肘掛け部分に置き、テレビを消した。ソファに横になり、胸まで布団を引き上げる。来客用の布団を常備しておいてよかった。
明日の自分に期待。そう思いながら照明のリモコンを操作し、オレンジ色の間接照明に変え、目を閉じた。

眠りに落ちた意識が、急に現実に引き戻される。真昼間の太陽のような白く眩い光を浴びせられたのだ。うーん、と唸って顔を背け、布団を頭まで被る。まだ朝じゃないはず。そう思ってまた眠りにつこうとすると、布団越しに彼の声が聞こえた。
「おい」
寝惚けているんだと思い、早く意識を飛ばそうとする。
「おい、起きろ」
大きな手が布団越しに肩に触れ、大きく揺さぶられる。
…夢じゃない。
恐る恐る布団から顔を出す。眩しさに慣れずしぱしぱする目を何回も瞬かせると、そこには私の顔を覗き込む彼の姿があった。その手には照明のリモコンが握られている。
彼に対して怒ってしまったことを鮮明に思い出し、さっと寝返りを打つと、背後に言葉を投げかける。
「…何の用ですか」
「何の用ですか、じゃない。まだ怒ってるのか?」
「怒ってませんよ。ただ…」
申し訳ない、と思っているだけ。その一言が言えない。
「永至さんも私になんて構ってないで早く寝ればいいじゃないですか。明日も早いことだし」
「…それが、だな」
無言の間が長いので、静かに彼の方を見やる。彼は目を逸らしてばつの悪そうな顔をしていた。彼が重たげな口を開く。

「…ベッドが広すぎて落ち着かない。だから、こっちで寝ろ」

そう言い放った彼と目が合う。すぐに気まずそうに目を逸らされる。お腹の底から無数の手が生えてきたかのように、お腹がくすぐったくなる。
「ふふ、ふふふ…なんですかそれ…何かの冗談ですか」
「本当だ」
彼は真顔で言う。それがまた笑いを誘った。
「ふふふふ…なんかこう、もっといい誘い文句はなかったんですかね」
「もういい」
急にふっとリビングが真っ暗闇に包まれる。目に映るものは黒一色だった。
「ごめんなさいって。決して馬鹿にしたわけでは…」
ガチャ、とドアが開く音がしたと思うと、リビングのドアから漏れる廊下のオレンジ色の照明が、リビングの一角を照らす。廊下には彼が堂々とした様子で立っていた。私は布団を剥ぎ、ソファから立ち上がり、廊下に向かって歩き出した。彼の傍まで来ると、彼は私の腕を乱雑に掴む。
「…それでいい」
彼は満足げに言った。
私は彼と合わない歩幅のままふらふらと私たちの寝室に向かうのだった。

オレンジ色の間接照明が灯された寝室に着くと、流れるように2人でベッドに入る。
ああ。今日も変わらずこうやって眠れるんだな。そんなことを考えていると、伸びてきた彼の腕の中に、そっと閉じ込められる。彼の匂いがする。
「その…夕べは怒っちゃってごめんなさい。酷いことも言っちゃって」
「いいぞ。許してやる。お前に簡単に服従されても面白くないからな」
あっさりと仲直りできた。まあ、彼の方から不器用ながら歩み寄ってくれた時点で、仲直りできるのは必然だっただろうけど。
「さっきのベッドが広すぎて落ち着かない…っていうの、本当じゃないですよね?私を笑わせて、謝りやすくしてくれたんですよね」
「さあな」
彼は鼻で笑った。自分の不器用さに気付いていないであろう彼が愛おしい。
「明日も早いから寝るぞ。お休み」
「お休みなさい」
私は彼の声を聞きながら目を閉じた。
なんだか、ちょっとした喧嘩を乗り越えられたことを嬉しく思った。



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