メーカーに悪気はない

2022.05.17



「お帰りなさい」
休日。買い物から帰ってきた夫を出迎える。
「……」
いつもなら尊大な態度でああ、帰ったぞと言う彼が、何も言わない。しかもその端正な顔は、苛立ちにぐにゃりと歪んでいる。今にも獣のように飛びかかってきそうだ。
「どうしたんですか」
彼は私の問いに答えず、靴を脱いで家に上がり、すぐにリビングに入っていった。
どうしたんだろう。反りが合わない知り合いにばったり会ったりしたのかな。
私もすぐに踵を返してリビングに向かう。
リビングに入ると、彼がガサ、と音を立てて乱暴にレジ袋をテーブルに叩き付けていた。彼を刺激しないようにそっと彼の背後に近付く。
レジ袋の中には歯ブラシや歯磨き粉など、ありふれたものしかなかった。しかし、その中に一つだけ、派手な色彩が悪目立ちしているものが…。
彼がレジ袋の中に手を突っ込み、まさに私が気になっていたそれを掴んで引き上げる。

なんと、そのシャンプーのボトルに印刷されていたのは、毎週日曜朝9時からテレビで放送している特撮のキャラクターだった。

格好いいーそれも、小さな子どもや特撮ファンにとってはそう思えるようなーポーズを決め、大きな銃剣のような武器を構えるキャラクターの周りには、白、ピンク、赤の稲妻のようなエフェクトがかかっている。

「ぶっ」
思わず吹き出した。
社会との齟齬をきたしすぎて、ついに気が狂ったかと思った。

「特撮とのコラボだと…?ふざけやがって…!」
彼はシャンプーのボトルを握りしめた手を、大きく震わせる。
「一軒目のドラッグストアにこれがあって、信じられなくて、他のドラッグストアも見てみたけど、在庫がこれしかなかった…!」
彼はわざわざ私に説明するように言葉を続けた。
「畜生…!メーカー側も何でこれでOKを出したんだ…!もっとマシなところとコラボしろよ…!メーカー側は俺みたいな働き盛りの大人がメインの顧客だって分かってるはずなのに…!信用を失うようなことしやがって…!」
…なるほど。お気に入りのシャンプーのメーカーが特撮とコラボしたのね。子どもや特撮ファンは喜ぶかもしれないけど、これは…。

彼がドスドスと大きな足音を立ててどこかへ向かう。一体どこへ向かうのか気になって、スリッパをパタパタいわせながら彼のあとをついていく。
彼が昼間の少し薄暗いバスルームへ入っていくのを見て、私はバスルームの入り口にある照明のスイッチを押した。室内と彼の髪や肌の色が一段と明るくなった。

彼が、バスルームのシャンプーラックの一番右端にシャンプーを置いた。
左から、私のクレンジングオイル、シャンプー、コンディショナー、2人で使う洗顔フォーム、ボディソープ、彼のリンス…。

…シャンプー。
それも、特撮のキャラクターがデカデカと描いてある代物。
正直言って、それは最高に悪目立ちしていた。

「…あああああもう!ダメだ!台無しだ!俺は前のシックなデザインが気に入ってたのに!クソッ…!」
彼は激昂してバスルームの壁にバンっと拳を叩き付けると、拳を壁に付けたまま片膝を突き、へなへなと座り込んでしまった。

彼はこの通り、家の中の雰囲気作りにうるさい。いや、他にもうるさいことはたくさんあるけど…。
これから私たち夫婦の間に子どもが生まれたとしても、こういうデザインのボトルのシャンプーを買うのを阻止されるかもしれない、と思った。

「…っ…ふふっ…」
「何がおかしい」
彼が肩越しに恨めしそうにこちらを見てくる。
「飾らない永至さんを一番近くで見られるのが嬉しいな、って思って」
私の言葉に、彼は目を円くした。
「色んなことが起こって面白いから、私は貴方と一緒にいるのが好きです」
彼は背を向け、私に聞こえないように呟いた…つもりだと思う。
「…俺もだよ」
その小さな声はバスルームに反響してしっかり耳に届いた。嬉しくて、思わず口角が上がった。

「中身が以前と変わらないからと自分に言い聞かせて買ってきたが、こんなもの最後まで使える気がしない。どうすれば…」
すくっと立ち上がった彼は、シャンプーのボトルに描かれた特撮のキャラクターを睨んでいた。
「そうですね…うーん」
男性の多くは美意識が低く、『シャンプーって書いてあるから』という理由でシャンプーを購入すると思っていたが、仮想世界で偶然出会った目の前の夫は、とても美意識が高い。こんなデザインのボトルに入ったシャンプーは、中身が以前と変わらなくても、絶対に使いたくないだろう。

どうすれば…。
…そうだ!
「あっ!私に考えがあります!ちょっと待っててください!」
バスルームを後にし、クローゼットに向かった。クローゼットを開け、しばらくごそごそと物を掻き分けていると、ビニール袋に入った何かを発見した。
結び目を解くと、中にはネイビーを基調としたデザインのシャンプーのボトルがあった。言わずもがな、彼が気に入っていた前のデザインのボトルだ。
私はとても軽いそれを持って、彼の元へ向かった。
彼は相変わらずシャンプーラックに新しいデザインのボトルを置いたり、手に取ったりを繰り返していた。
「永至さん!」
彼の名前を呼ぶと、すぐに私の方を見る。
「お前、それ…」
驚いたように口をポカンと開けている彼を見て、思わず口元が緩む。
「前のデザインのボトル、捨てるのもったいないなって思って、洗って取っておいたんです。これに詰め替えましょう」
「…いいな」
彼はいつもの、心の籠もらない声で言った。
「でしょう?」

スリッパを脱いでバスルームに入ると、裸足で冷たいタイルを踏み、彼の元へ歩み寄る。空虚な視線を感じながら彼の傍まで来ると、彼の手から新しいデザインのボトルをひったくる。そのまましゃがみ込むと、彼も一拍遅れて長い脚を折ってしゃがむ。

両方のボトルのポンプをくるくると回して外す。爽やかな香りが鼻を刺激する。タイルの上に置いた前のデザインのボトルの口に新しいデザインのボトルの口を当て、ゆっくりと傾ける。乳白色のもったりとした液体が、空っぽのボトルを満たしていく。

なんだか私たち、暗い部屋で光るおもちゃを見ている子どもみたい。
そんなことを考えながら彼の方に視線を移すと、黙り込んでいた彼が口を開いた。
「意外と上手いじゃないか」
褒められて少し驚いたけど、私はすぐにボトルに視線を戻して言った。
「誰にでもできますよ。シャンプーの詰め替えなんて」
「いや」
彼の目が静かに伏せられる。

「俺を…絆すのが」

思わず彼の顔に釘付けになっていると、彼は顔の前で拳を作って私の視線を遮った。その陰の表情は、冷たいが気まずそうだった。
「ほら、よそ見してると溢すぞ」
「す、すみません」
すぐにボトルに意識を戻す。
…絆す。
私は、貴方を縛り付けているつもりなんてないんだけどな。

「…よし!」
両方のボトルのポンプを取り付けると、立ち上がり、詰め替えたボトルを彼のリンスの隣に置く。
彼が言うように、シックなデザインのボトルが、バスルームや他のボトルの雰囲気を壊すことなくそこにある。調和という言葉がまさにぴったりだった。
「…上出来だ。よくやった」
また一拍遅れて立ち上がった彼が、大きく温かい手で私の頭を撫でる。もう、彼の顔には苛立ちの色は見えない。嬉しくなって、私は空っぽのボトルを胸元に持ったまま、ふふふと笑った。

すると、腕より大きな影が私を覆った。彼が大きな体を折り曲げて顔を近付けてきた…そう思った瞬間、片手で腰を引き寄せながらキスをされた。『物』を見る目は閉じられておらず、ついすっかり見慣れたそれに見惚れてしまった。
唇を離した彼が呟く。
「シャワーでも浴びるか」
「え」
「お前が詰め替えたシャンプーが使いたくなった」
「そうですか。じゃあ私はリビングに戻りま」
「何言ってる。お前も浴びるんだよ」
「…えっ!?」
腰に回された手の力が強まる。慌ててバスルームから出ようとしても、びくともしない。
「最近忙しくてレス気味だからな」
全く声色を変えないまま彼が言う。

まずい。このままじゃ一日が潰れる。

「やっ…!ゆ、許して…ください!」
彼がくつくつと喉奥で笑いながら私の服を剥ぎ取り始める。
逃げ腰の私の手から空っぽのボトルが零れ落ち、タイルの上でからん、と音を立てた。



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