Pair
2022.07.23
「お前、またファストファッションブランドの服着てるのかよ」
「…ん?そうですが。よく分かりましたね」
俺の脚の間に座り、大人しくテレビを見ている奴は、俺の体に体重を預けながら言う。
「完璧超人の目を舐めるなよ。全く…この前俺が買ってやった服はどうしたんだよ」
安っぽい深緋色のタートルネック。栗色の髪の隙間に指を差し入れて、そのペラペラな襟を引っ張った。
「ちょっ…襟が伸びちゃうじゃないですか」
奴は俺の手を掴み、弱々しい力で引き剥がそうとする。
「質問に答えろ。この前俺が買ってやった服はどうした?」
「大事にしまっておいて、たまに眺めてます」
「ふっ」
笑ってしまった。ガキか何かか?面白かったから、襟から手を離してやる。
「着ろよ」
「だって、汚したりしたら大変ですから」
「綺麗好きな犬は嫌いじゃないぞ。…俺も、たまには気分を変えて、安い服でも着てみるかな」
「えっ」
奴が急にこちらに体を向けて、俺の両肩に両手を置いた。
「ペアルックできる、ってことですか」
曖昧な薄い色の瞳が、嫌にきらきらしていた。
「……ペアルック?」
「あ」
奴は我に返ったような顔をして、またテレビの方に体を向けて座り直した。
「…何でもないです」
「ペアルックしたいのか、お前」
「忘れてください」
奴は、決して口数は多くはない。自分のことも全く語ろうとしない。だから、奴がこうやって望みを口にすることは、かなり珍しい。
「したいんだな。ペアルック」
奴は何も言わない。だが、短い髪の毛先が微かに揺れた気がした。
別に、俺はこいつがしたいことなんてどうでもいい。安い服を着て、気分を変えたいと思った。それにメリットを感じた。それだけだ。
「退け」
短く命令すると、奴はすぐにソファから退く。俺は立ち上がると、財布とスマートフォン、車の鍵を持ってリビングを出ようとした…が、足を止めて振り返る。そこには、感情の読めない顔で突っ立っている奴がいた。
「ピースしろ」
スマートフォンの画面には、狼狽する奴が写っている。
「えっ」
「早く」
「こ、こうですか」
殺風景なリビングを背景に困ったような笑顔を浮かべ、片手でピースサインを作る女。カシャ、と音を立ててその様子をカメラロールに収める。
「出掛けてくる。すぐ帰る」
息を吐くようなはいという返事を聞き流して、俺は家を後にした。
「帰ったぞ」
「お、お帰りなさい」
奴はまるで悪戯をして怒られた犬のような顔でソファに座っていた。
「その袋、どこかにお買い物に行かれたんですか」
「ん」
奴に近付いて袋の中身を見せると、奴の表情がパッと華やいだ。
「こっ、これ…!」
「さっきの会話の流れからして、服を買いに行く以外の選択肢ないだろ」
「おお…!」
奴は勝手に服の入ったチャック付きの袋を、クリスマスプレゼントをもらったガキのように高々と掲げた。その両手から服をひったくる。
「今着るから寄越せ」
俺が服を脱ぎ出すと、奴は慌てて掃き出し窓に駆け寄った。
「待っ!カーテン閉めないと…!」
「なんだよ、やることやってるくせに処女みたいな反応しやがって」
奴がカーテンを閉めて気まずそうに背を向けている間に、さっさと着替えた。安物にしては、悪くない着心地だ。そのまま、奴の傍に行く。
「ほら、着替えたぞ」
「えっ…うわ!」
嬉しい、って、顔に書いてあるみたいだ。
「黒のスキニーまでお揃いじゃないですか!」
「店員にさっき撮ったお前の写真を見せたからな」
「え」
「これ」
奴に自分の写真を見せると、拳で口元を隠し、どこか頬を赤らめていた。
「ちなみにどこの店舗に行ってきたんですか」
「そりゃ、一番近いあそこだよ」
「うわ~…あそこか…恥ずかし…もう行けないかも」
「細かいこと気にするなって」
俺は奴を宥め、背中を軽く押し、ソファに行くよう促してやった。
「急に退けって言われたから、怒っちゃったのかと思いました」
再び俺の脚の間でテレビを見ている奴が、ぽつりと呟いた。
視線を下に向ける。そこには、深緋(こきひ)色と黒色が広がっている。こういうのも、たまにはいいかもしれない。
「他人のこと考えて発言するの苦手なんだよ。分かるだろ」
「毎日貴方と一緒にいて、痛いほど痛感してます」
「なんかムカつくな」
「なぜ!?」
「あー…でも、お前がファストファッションブランドを好む理由が分かった気がする」
「貴方なら分かってくれると思ってましたよ!」
「貧乏な外人が低賃金で働かされてできた服を着て優越感を感じてるんだろ?いい趣味してるな」
「え…私、そこまで趣味悪くないですよ」
俺がこの安物の服を着て、本当に思ったことなのに。
「いてて!」
罰として、耳を引っ張ってやった。
「…なんか眠くなってきたな」
仕事の疲れが、今になって出てきた。瞼が重い。眠い。
「奇遇ですね、実は私もちょっと」
「肩貸せ」
「どうぞ」
奴の細い肩に頭を乗せ、目を閉じる。
……ズル。ズル。
頭が何度も奴の肩から滑り落ち、そのたびに意識が覚醒した。軽く苛立ち、奴を睨む。
「撫で肩野郎が」
「えー…じゃあ、私が永至さんの肩借りますね」
奴は少し困った顔をしたあと、すぐに俺の肩に頭を乗せた。その栗色の髪からは、甘い香りがした。
奴の右手の指一本一本が、俺の左手の指一本一本に絡められる。俗に言う恋人つなぎだ。
「落ちるときは、飼い主もろとも道連れですよ」
どうやら、奴がすっかり眠りこけてソファから落ちることを指しているらしいが、どこかあのクソったれな世界で奴に言った言葉を想起させた。
ああ。ついてくるがいい。地獄の果てまでな。
「何言ってる。落ちるのはお前だけだ」
まあでも、お前みたいな理解者となら、共に地獄に堕ちてやってもいいかな。そんなくだらないことを考えながら、頭同士をくっつけるようにして、眠気に身を任せていった。
後日、俺は奴の写真を消さず、スマートフォンの壁紙に設定したのだった。