お前に触れたい

2022.08.07



「この曲、いいだろ。前にもWIREで言った、ゴシックロック…ってジャンルなんだけどよ」
ゴシックロック特集が組まれた音楽雑誌に目を通しながら、片耳でゴシックロックのどこか悲しいサウンドと暗い歌詞に浸っていると、耳に挿したイヤホンのコードが大きく揺れた。
音楽雑誌を膝の上に置き、左隣に目をやると、栗色の頭がこくこくと不規則に上下していた。
「部長?」
俺がそいつに呼びかけると、その動きがぴたりと動きが止まる。
「うぅん……」
幼さを残したその顔を俺の方に向け、部長は半開きの目のままゆっくりと唇を動かした。
「……ごめん。半分寝てた」
「…ははっ」
「何?私何か変なこと言った?」
部長が、髪と同じ色の眉の間に皺を寄せて、ムスっとしたような表情を作った。
「半分寝るって逆にどうやるんだよ。100パー起きてるか100パー寝てるかのどっちかしかないだろ」
「ああ…確かにそうかも」
「てかお前、デジヘッドや楽士と戦ったり色んな奴らのために走り回ったりして疲れてんだろ。俺とここに残ってないで家帰って休めよ」
「家、ね…」
部長は、降り出した雨のようにぽつりと呟いた。

「……帰りたくないなあ」

……俺は何をすればいいだろう。何をしてやれるだろう。俺の相棒に。
少し考えて、俺は部長の髪の隙間に指を差し入れてイヤホンを外した。俺も片耳からイヤホンを取り去り、コードをミュージックプレイヤー本体に巻き付け、雑にポケットにぶち込む。
「どうしたの」
「お前に聴かせてやりてぇゴシックロックのあれやこれやはあったけど、今日はこれでお開きだ」
俺は右手で左肩をポンポンと叩いた。
「…肩貸してやるから、ちょっと休めよ」
部長は少し驚いた顔をしたが、すぐに頬を緩ませて微笑んだ。
「ありがと、笙悟」
部長が俺の左肩にゆっくりと頭をもたせる。また音楽雑誌を開き、眺めていると、部長はすぐに寝息を立てた。安心したのだろうか。
俺は、軽く目を閉じて息を吐いた。

……クソ!なんでこんなことになっちまったんだ!?
俺は酷く混乱していた。

何より、俺が密かに想いを寄せている部長と2人きりになれることさえ奇跡だったのに。
部長が、俺の好きなものに興味を持ってくれた。ミュージックプレイヤーのイヤホンを、片方ずつ分け合った。
信じられねぇ。夢みてぇだ。三十路にして、青春が到来した…?
しかも、『帰りたくないなあ』なんて、まるで2つの意味を持っているかのような言葉を聴けた。部長の心に踏み込める一歩手前まで来られたような…。そんな気分だ。俺だけ…なんだよな。俺以外の奴には、あんな寂しそうな声は、聴かせてないんだよな。なんだか、申し訳ない。なのに、嬉しい。
俺はなんで肩を貸すなんて言い出したのだろう。分からない。経験もないし、免疫もないのに、好きなやつとゼロ距離。後悔しているのか、後悔していないのか。自分の気持ちがよく分からない。今はただ、胸の内側を叩く鼓動がうるさい。顔も体も熱い。身を捩りたいくらいもどかしい気分だ。手を伸ばして、その細い肩を抱きたい。でも、疲れている部長を起こしたくない。どうすりゃいいんだ。
雑誌の内容が全然頭に入ってこなくて、雑誌を閉じて膝の上に置く。

俺は奥手な男なんだ。肩なんて抱く勇気はない。でも、部長に触れたい。想いが、溢れてくる。

俺は、固まっていた左手を少し動かし、指先でその右手に触れた。俺はすぐに弾かれたように手を引っ込める。部長が起きる気配はない。
俺は緊張で止まっていた呼吸を意識して再開させ、思い切って部長の手を握った。
小さい。細い。あたたかい。
こんな折れそうな手で、戦って、俺たちの心に寄り添ってくれてるのかよ。そう思うと、鼻の奥がつんとした。
体温が、奪い、奪われていく。心臓が飛び出しそうなくらい胸がドキドキしているのに、なぜだかひどく安心する。
鼓動が穏やかになるにつれて、眠気が顔を出し始めた。

こいつが起きたら、どうしようか。偶然手が重なったことにしようか。それとも、想いを伝えてしまおうか。
…眠い。
俺は、とりあえず寝て起きたら考えることにした。

瞼をゆっくりとこじ開ける。心地よい眠りから少しずつ目が覚める。窓からは、赤い夕日が漏れていた。仕方ねぇ。もうそろそろお菓子だのなんだのを片付けて帰らないとな。
俺は部長に呼びかける。
「おい、部長……」
部長の手に重ねていた手でその肩を揺さぶろうとしたが、なぜか手が持ち上がらなかった。

視線を下に向けると。
部長の小さな手と俺の大きな手が、しっかりと絡み合っていた。
俗に言う、恋人つなぎというやつだった。

「なっ……!」
手のひら全体を覆うあたたかさに胸がどくりと鳴って、すぐに指を抜き去ろうとしたが、部長の手にはしっかりと力がこもっていて抜け出せなかった。

俺が呆気にとられて固まっていると、部長の体が小さくぴくぴくと跳ねる。髪で隠れていて表情は分からないが、これは絶対に笑いを堪えている。

「お、おい部長!おっさんからかって面白がってんじゃねぇぞ!」
「からかってないよ」
「へっ」
「私、笙悟が好きだもん」
「……へっ!?」
「笙悟も私のこと好きでしょ。両想いだね、私たち」
「はあああっ!?」

夕日に照らされた部室。上目遣いで俺の顔を覗き込む部長の優しい笑顔。絡み合った手と手。
俺はこの夢のような日を、一生忘れることはないだろう。



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