ブラッドハウンド
2024.08.21
律へ
もし帰ってきてくれたのなら、おかえりなさい。
驚かせてしまったら申し訳ない。せっかく慣れ親しんだ家に帰ってきたというのに、テーブルの上にこうして手紙が置いてあるだけだなんて、俺が君を置いていってしまったのだろうかと思わせてしまいますよね。大丈夫。俺はそんな不義理なことはしませんから。
お久しぶりです。
その後、調子はどうですか。元気にしていましたか。風邪を引いたりはしていませんか。
俺は、君が「誰にも言わないで」「探さないで」「ごめんなさい」という内容のメモを残して忽然と消えてしまったときは、それはもう……年甲斐もなく泣いて、一睡もできませんでした。でもしばらく経って、ふと思ったんです。俺が普段悠長に寝息を立てているとき。その隣で、君は静かに泣いていたのかもしれないと。
それから俺は、君のいない非日常の中で、日常の輪郭をなぞりました。君がいなくなってから食欲は少し控えめにはなりましたが、食事は毎日三食きちんと食べました。君が大切にしてくれた俺を蔑ろにしないためです。仕事も家事も、手を抜きませんでした。君が帰る場所を守るためです。無力な俺が唯一、できることでした。
少し、俺の話をしてもいいですか。
俺は君もよく知っていた通り、かなりの優柔不断でした。自分の望むことにすら大きな不安がつきまとって、些細なことも決められない。そんな自分がつくづく嫌でした。心の底には自暴自棄のような投げやりな気持ちがあって、自分なんかより誰かのために行動した方がずっといいと、自分勝手なエゴのために人助けをしたこともありました。でも、気付いたときには幸せを感じ取れるだけの気力が尽きてしまっていて、罪悪感でただただ胸の奥が痛いだけでした。
そんなとき、あの後悔のない世界で君に出会いました。
どんなことに対しても、まずは今自分が一番に望むことは何なのか、それを考えてすぐに選択をする。自信を持った君のその生き方には驚かされました。君を見ていると確かに、無理をして誰かの元に駆けつけたり、自分を犠牲にしてまで行動したりしている様子はなくて。まずは自分を大切にして、その優しさを他の人にもそっと分け与えているように見えました。
突然、憑き物が晴れたように楽になった。俺の薄暗い世界にあたたかな光が差したんです。
迷わずに後悔なき選択をしていく君が、何らかの後悔を抱えていたのは分かっていました。でも、それを誰に打ち明ければいいのか分からず、耐えられなくなっていたことに、一番傍にいる俺は気付いてあげられなかった。なんて情けないんだろうと、今も思う。
君は、自分が嫌になってしまっているかもしれない。俺の隣にいてもなお、ありのままでいられなかったと悔やんでいるかもしれない。でも俺は、心から君を愛してる。それが全てです。
俺は、誰にも言えない後悔を抱え、それでも俺と手を取り合って生きていく選択をした強い君が好きです。こんな情けない俺と共に歩んでいくことを、一番に望んでくれていた一途な君が好きです。こうして君が俺から離れる選択をしたとしても、俺の想いは決して揺らいだりなんてしません。
君は、俺の想像を絶するほどに、大いに悩み、苦しんだことでしょう。俺は、君の後悔については今でも何も分からない。でも、傷口ができた経緯は言えなくとも、じくじくと疼く痛みだけはどうか、一人で抱えないでほしい。
君が、君の望む選択をしていくこと。それはとても素晴らしいことなんです。君のおかげで、俺も、帰宅部のみんなも、他のみんなも、後悔を抱えながらもなんとか立ち上がることができたんです。だから、君自身の選択を。俺が愛してやまない君自身を。君も愛してあげてください。
君はメモに「探さないで」と書き残しましたね。
でも俺は、今日も、明日も、明後日も、君を探します。
君の傷口から垂れた血の匂いを辿って、君の行方を追います。
また君と生きていきたいから。
君のおかげで息を吹き返したこの命、人生。捧げるべき女性ひとは、君以外考えられない。俺には何も迷いはありません。
どうかまた、俺と生きていく選択をしてください。
愛しています。
釣巻鐘太より