惚れた、腫れた

2024.01.08



荒れ果てた小屋の中で頭を抱えて蹲る奴は、品の良い軍服に包まれた決して小さくはない体躯に似つかわしくなく、ひどくちっぽけに見えた。
「シンディ。俺は分かっちまった。俺の類い稀なる脳みそが、最適解を導き出したんだ」
奴は俺が声を掛けるより先に、掠れた声で呟いた。自分を慕う部下たちを困らせて。仮にも敵対関係にある俺にまで話が来て。もっと他に、俺に言うことがあっただろうに。何かあってもこうして当たり前に飛んできてくれる都合の良い存在だと思われているようで、なんだか勝手にモヤモヤした。
「俺たち兄弟は、ふたつで一組のサイコロみたいなものだった。それなのに、兄弟は今この世にいない。その事実は俺にとって、世界から死ねと言われているのと同じだ。分かっちまった。希望のない世界でこうやってズルズルと生き長らえても、もう意味なんてないって」
「……どうしたよ、ダイス。お前らしくもない」
奴は冷静さを失ってる。当然だ。血を分けた家族を殺されたんだ。無理もない。
「物事をああだこうだと難しく考えすぎだよ。お前はお前の兄弟を殺した奴を探し出して、仇を討てばいい。それでお前の兄弟は、帰ってくるわけじゃねえけど……。人が守ってきた法さえ機能してないこの世の中だ。行き場のない感情に一区切りつけるには、そうするのが一番いい」
本当は顔を上げさせて頬を張りたいくらいだった。お前が生きるのを諦めても、何度でも活を入れてやって、またバカやりながら共に生きていきたいって思う。でも、心を許せるダチでもあるこいつに俺を拒絶されたとしたら、それこそ俺も生きるのを諦めてしまいそうで、当たり障りのない言葉を吐くことしかできない。
俺も、らしくもない……。

「……励ましてくれてありがとよ、シンディ。でも、俺にはどうにも時間がない気がしてならないんだ」
奴がやっと顔を上げた。
派手な水色に染めたくしゃくしゃの髪の隙間から、瞳孔が開いた両目がしっかりと俺を捉えた。
突然。分厚い体ごとひしゃげそうなほど、胸の奥がひどく痛んだ。
鈍い俺にだって分かる。こいつ、ちょっと心の脆いところを小突かれただけでもう人間に戻れなくなるところまできてる。
そんな……。
馬鹿力ばかり有り余っていても、今の俺はどうしようもなく無力だった。

いつの間にか膝を折って奴の傍に跪いていた俺は、奴の泣き腫らした顔が静かに迫ってくるのに気付けなかった。
奴の白い手が俺の額に掛かった長い黒髪を掻き上げたと思うと、すっかり乾いた俺の唇が食まれる。初めてのキスだった。暈けた長い睫毛の輪郭を眺めて、呼吸さえできないでいる俺の口内に、丸く硬い物が放り込まれ、歯に当たって、かろ、と軽い音を立てた。
キスには驚いたが、『これ』にはもはや、驚くこともなかった。
奴の爪の先が俺の喉をなぞると同時に唾液が送り込まれ、その温さに溺れるように丸いものをごくりと飲み下した。

ああ。こいつに何かあってもこうやってすぐに駆け付けられるように、こいつ含め誰から勧められても『これ』を断ってきたのによ。こいつ絶対、そんなことにも気付かなかっただろうな。お前、普段鋭いくせに、そういうとこ鈍いよな。

喉を通ってすぐに、気を抜いたら簡単に嘔吐しそうなほど具合が悪くなった。クソみたいな気分だ。地面が震えながらぐにゃりと歪んでどこまでも垂れ下がっていく気がする。本当に俺がいるここは、現実なのか?でも、絡む舌同士の襞がぶつかる感覚、きつく握り込んだ手の熱さ、全部の中に今まで感じたことのないような澄んだ快感がはち切れそうなほど脈打っているのが分かる。脳が痺れて、舌がびくついてヘンな声が出る。吐き出す色のない吐息の中に高い空の色さえ感じ取れそうだ。
「ダイスッ、お前……!」
「シンディ。俺は自分の人生を台無しにしちまった。そんな中でもこれをキメれば生きてるって感じられたはずなのに、何回キメても正気のまま。俺にとって本当の終焉だ……。誰よりも俺を理解してくれているお前が、俺と同じ滅びの道を辿って教えてくれ。俺を愛して……俺を生きてるって思わせてくれ……」
この間までただの他愛もないダチだった俺に、急にお前の何もかもを背負わせやがって。
愛してだと?俺はずっと前から密かにそうしてた。
生きてるって思わせろだと?もしお前がそう思えなかったとしたら、俺が責任取るのかよ?
いつもの調子でこいつに言いたいことはたくさんあるのに、俺のより細い奴の手が俺の裸の胸を滑って、噛んだままの舌をくっと引っ張られ……惚れた男とずっとしたかったことをずっとされているせいで過剰に気持ちが良くて、喉の奥でうわごとみたいな声しか絞り出せない。

「俺はずっと、お前を仰ぎ見て憧れてきた。でも俺はもう顔を上げる気力さえない。俺みたいなクズ野郎に成り下がってくれ。頼むよ。お前よりずっと弱っちい俺の手が届くところまで堕ちてきてくれ」

なんだか、夢を見ているようだ。こいつは精神がかなりやられてはいるが、錯乱しながらもここまで俺を求めてくれている。ずっと望んでいたことなのに、俺と似たような浅黒い肌の兄弟の片鱗を見ているだけじゃないかとか思って、いまだに信じられない。
でも、奴は躊躇いもなく、俺の手を取って軍服の金色のボタンを外させ、俺のベルトの隙間の腰骨をなぞる。瞼を腫らした目を歪めて、妖しい笑みを浮かべてる。流石に終わりかけの世界でも、実の兄弟とはこんなこと、しねえよな。
情緒が、ぐちゃぐちゃ、ごちゃごちゃになっていく。上昇と降下が同時に起こってるみたいだ。
すぐにでもこいつの自我がなくなって、全身が膨れて捻れて、俺がこの手で殺すことになってもおかしくなくて。それを思い描くと頭が変になりそうで。でも、生命の瀬戸際で最後に俺を選んでくれたこいつが愛しくて愛しくて仕方なくて、世界がギラギラと七色に輝いて見えるくらいには滅茶苦茶に興奮してる。

俺もお前も、後に引けなくなった。戻りたいとも、戻れるとも微塵も思わないから……。
俺は奴の唇に吸い込まれるように、まるで合図のようなキスをした。



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