最悪
2025.02.11
一日の終わりにはいつも酒盛りをする男たちの賑やかな声が絶えない、奴のエリア。
瀕死の身体を引き摺るようにしてそこに辿り着くと、不気味なほど静かで人っ子一人いなかった。
ただ、全身が捻れ、膨れて形作られた巨体を持つ水色の髪の化け物だけが……。円い目をさらに円くして佇んでいた。
ダイス。お前、嘘だろ。
絞首台に吊され、矢で射られながらも、自分の軍のギャングどもを一人残さず叩きのめしたこの馬鹿力が嘘だったかのように……足元からみるみる力が抜けて地面に膝をついた。
今、俺たち以外のウォーロードの様子は何も分からない。だがこれだけは言える。
一夜にして世界で二番目に強い男が狂信者と化した自分のギャングに瀕死の重傷を負わされ、世界で三番目に強い男も化け物に変わり果て、お互いの軍の再興は絶望的だということだ。
なんてことだ。俺のせいだ。
俺が腰を上げるのが遅かったからだ。それがここまでの結果を招いた。
鈍い俺とは違い、奴は鋭く、俺の軍のギャングどもの様子がおかしいと俺に言った。そして、このままだと俺の生命が脅かされるかもしれない、自分の右腕として自分の軍に入るのなら喜んで歓迎する、と……。すぐに返事をすればよかった。俺には何も迷いはなかったのに、この世紀末の危ういが奇妙な均衡は滅多なことでは崩れないだろうと状況を楽観視していたのだ。望めばいつでも奴と組めると思ってた。
奴の軍に入ると決まれば心おきなく狂ったヤツらをコテンパンにできたし、俺はここまで瀕死にならずに済んだ。
俺の行動さえ早ければ、奴を救えた可能性が高い。いや。絶対に救えたんだ。
思い出すのもおぞましい俺の赤っ恥な行動、碧い髪のダチの変わり果てた姿、終末の世界が常に示していた黄色信号、その全ての色が透けて重なった真っ黒な部分に今、俺はいた。濁りきった黒。考え得る最悪の結果だ。
俺はなぜ、こんなにボロボロになってもまだしぶとく生きているのだろう。いっそ死んでいた方が……。
背後からまるで牛の鳴き声みたいな低い唸り声がした。奴が、俺の傍まで来てくれたのだ。
「……ダイス」
自我なんてとっくに消えて、俺のことなんて分からない肉塊だ。そう自分に言い聞かせてみても、荒れ果てた世界のどこにいてもすぐに見つけられるような派手な水色の髪が、伸びた皮膚に引っ張られて大きく薄くなった口元のほくろが、紛れもなくこいつは俺のダチであると俺に伝えてくる。
周りには奴の軍のギャングたちの死体が、いくつか。そしてこの場で生きていることが確認できるのは、奴ひとり。
このエリアに点在する小屋を覗けば、怯えて身を隠してるヤツや仲間を殺され悲しみに暮れているヤツが見つかるかもしれない。だが、今そいつらにどんな顔して声をかけたらいいか分からないし、もはや今の俺には何の言葉も思いつかない。
「ごめん。俺、今考え事してて、ここから動けなくなってたんだ。わざわざ傍に来てくれてありがとよ」
ひとりで寂しかっただろう。ごめんな。
そう呟いて手を伸ばす。俺よりずっとデカくなりやがって。頭を撫でたくても手が届かないから、先細った手を握ってやった。あたたかかった。
奴の温い体温に背中を預けて青い空を見上げる。
これから、どうするか……。イマイチ考えられない。
全身が隈無く痛むが、死ぬ気がしない。だが、この怪我は流石にどうにかしなきゃヤバい。自分でさっさと矢を抜いて、手当てをしなきゃいけない。俺は、俺のギャングどもを蹴散らしている間、ずっとこいつのことを考えていた。俺は恐らく、こいつに再び相まみえるために、化け物みたいなフィジカルを発揮できたのだろう。……結局、こいつは救えなかったけど。
「お前、いつも着てたあの洒落た軍服は?全部破れちまったのか?」
お前の軍に入りたかったな。もう入れないのか。
俺の軍がもう二度と再興しないことなんてどうだっていいが、智将のお前が率いる軍が永遠に再起不能なことは本当に悲しいよ。
俺の脳みそがこれからのことを考えるのを拒否しているからか、昔のことばかり思い出す。
以前奴と闘ったとき、軽くあしらっただけで地面に倒れ伏した奴に向かって『弱い奴はそうやって地面に這いつくばってな』って吐き捨てたっけ。
そうは言ったけど、本当にそうなれとは言ってねえんだけどな……。
胡散臭い笑みを浮かべる奴の顔をぼんやりと思い浮かべる。
もし俺が奴に助けられていたとしたら、奴は俺を絞首台から下ろして『その座を奪ってやるからそうやってせいぜい見下ろしてろ』とは言ったけど、そうなれとは言ってねえだろ!とか、俺と似たようなことを言いそうではある。奴と俺は、変なところで似ているから。
そんなことを考えていたら、何か急に大粒の水滴がボトボトと垂れてきて、俺の髪や顔、肩を濡らす。空には雨雲一つなく、雨が降っているわけでもない。
「おい……泣くなよ」
痛む首を押さえながら振り向くと、やっぱり奴は大きな黒い目にいっぱいの涙を溜めてボトボトと俺を濡らしていた。
「いってえ、滅茶苦茶傷にしみる……知ってるか?涙ってションベンと似たような成分らしいぞ。きったねえなあ、しょうがねえから拭いてやるよ、ほら……」
上裸で何も拭くものがないことに気付いた。自分の血で汚れた右手を腿になすりつけてから奴の大粒の涙を指で拭う。
急に視界がぼやぼやと滲んで奴のデカい顔の輪郭が曖昧になる。
俺の顔面もべしょべしょだ。ホントにきったねえなあ。
「お前とずっと、バカやってたかったっ……畜生……」
お前が兄弟を亡くして悲しかったって、ヤクが効かなくて苦しくたって、何度でも生きるのを諦めさせないように頬張って活入れて。ずっとバカやってたかったのによ。バカ野郎。
俺はお前の兄弟のような存在にも、心の痛み止めにもなれず、お前と組んでオレイサのテッペンを取る夢も潰えた。今いるここだって、自分のギャングを葬って帰る場所がなくなった俺の帰る場所になったのかもしれないのに。お前が笑顔で迎えてくれない場所に帰っても意味なんてねえよ。
「お前が変わっちまって寂しいよ、俺は……!お前はっ、良いライバルで、俺の大事なダチだった、からっ」
このままその先細った手で俺を縊り殺していいのに。俺のどうしようもないやらかしで首にくっきりとついた引き攣れた荒縄の痕を、お前の手の痕で上書きして、そのまま楽にしていいのに。
胸ぐらを掴むように奴の髪と手を強く掴んだまま、俺は蹲る。
そんな女々しいクソ野郎を、奴は長い両腕でそっと抱き締めていてくれたのだった。