【LISA the Gambling】 #1 Wild Card

2025.04.03



不気味な緑色に沈む道。瘴気に色が着いたらこんな色なのだろうと思う。地面にはどこを見ても化け物と人間の死体が赤黒く転がっている。そいつらが身に纏った衣服の緑色も、もう視界に入れたくない。幾度となく血反吐を吐いた。最悪な気分だ。反吐が出る。もっと早く、こうしておけばよかったものを。

俺の名を冠したこの場所は、ズブズブに腐敗しきって手の施しようがなくなった。だから、俺が責任を持って滅ぼした。それだけだ。遅かれ早かれ、こうなっていた。そう自分に言い聞かせる。

ふらつく両足で、確実に歩みを進める。一度無様に躓いてしまえば、馬鹿らしくてもう起き上がる気力すら尽きてしまうかもしれないから。矢を浴びた全身、そして絞首台から伸びる縄できつく絞められた首が激しく痛む。だが、俺は生きている。当たり前だ。俺がこんなところでくたばるような女々しいクソ野郎だったら、リストの上から二番目に俺の名前はなかっただろう。そして、今の俺にはどうしても行かなければならない場所があった。だから俺は、首に掛かったままのうざったい縄の切れ端を地面に引き摺ってでも進む。



途中、何度か意識を飛ばしかけながら、なんとか俺はそこに辿り着いた。
やっと。やっとここに来られた。運が悪ければ、ここに来る前に死んでいてもおかしくなかった。肩で息をしながら、痛む首をぐっと傾け、天を仰ぎ見る。薄い赤紫色に染まった空。赤に限りなく近いオレンジ色の太陽。当たり前の風景なのに、濁った心がスッと澄んでいくような気持ちになる。
ここだ。紛れもなくここだったのだ。俺が、自分のエリアにいるときよりずっと、自分らしくいられた場所は。
こんなことになってから、気付いた大馬鹿者なのだ、俺は。

「シンディ!?」
俺の名前を呼ぶ、すっかり聴き慣れた声。鼻の奥が、つんと痛くなった。血の味がする喉をきゅっと絞って下を向く。こっちに向かってざりざりと駆ける足音が近付いてくるのを聞いているだけで、急激に力が抜けていった。

「シンディ、しっかりしろ……!」
俺が両膝を地面につく前に、俺のデカい体は両腕を背中に回されてそっと抱き留められる。やや下の方に、水色のつむじが見える。奴はこんな世紀末でも潔癖っぽいところがあるのに、今は赤い手袋とインナー、品の良い黒い軍服、白い肌が俺の血で汚れるのも厭わない。

奴の仲間がぞくぞくと駆け付けてくれている足音と声を聞きながら、俺は奴に導かれるようにやっと地面にへたり込んだ。そのまま、奴に肩を抱かれるようにして背中の体重を預けた。
「その矢。それに、その縄。お前の軍のギャングどもにやられたのか!?」
目の前には、俺のライバルであり、ダチでもある世界第三位の男の、美しい顔。
「お前のエリアからここまで来てくれたのか……辛かっただったろうに」
赤色が擦れた形の良い眉根に皺が寄り、口元の黒子と一緒に薄い唇が動くのを黙って見ていた。

「ダイス」
やっとのことでしゃがれた声を絞り出せた。最初の一声は、思わず奴の名前を口にした。
「……俺の軍のギャングどもの様子がおかしいって思う俺の読みは当たっちまったよ。アイツらは化け物を狂ったように信仰してた。ギャングどもの一人が巨大な化け物になって、俺が闘おうとするとヤツらは迷うことなく俺に牙を剥いたんだ」
「そうだったか……無理に喋らなくてもいいぞ」
奴はそう言うと、仲間の一人から布を受け取り、俺の目元に垂れた血を拭ってくれる。まるで自分が同じくらい血を流したみたいに苦しそうな顔をしてる。本当はこんな顔させたくなかったんだけど、初めて見るその顔に見入る。

「俺、言ったよな、シンディ。お前が命の危険を感じるほど不安に苛まれているならば、いっそ俺の軍に来いよって。お前を加えた俺の軍を率いて、アイツらに奇襲でもなんでもできたじゃねえか。そしたら、お前がそんなにボロボロになることだって、なかっただろうに」

あの日は、特に何も起こらず、ただコイツと二人で小屋で駄弁るだけのありきたりな日だった。急にコイツは俺に何かあったのかと切り出して、俺の心の弱いところを突いた。俺が俺の軍のギャングどもに対する不安を打ち明けると、命の危険を感じるならば自分の軍に来いと告げた。
コイツはそんなのガラじゃないのに、俺のために『賭け』に出てくれたのだ。
こんなのは、こいつと今の関係性で結ばれていなかったら成立していなかったと思う。ライバルでなければ強がって本心を誤魔化してたし、ダチでなければ何か裏があると疑ってただろう。
俺がこんなになっても生き残れたほどの強運を得られたのは、コイツが『賭け』に出てくれたおかげだ。多分。いや、絶対に。

「……俺、まだアイツらを信じてやりたかったんだ。この世界が苦しいから化け物を神として崇めているだけで、俺がヤツらの目の前に立ち塞がれば、まだなんとかしてやれるんじゃないかって。でも、容赦なく矢を浴びさせられて、躊躇いもなく絞首台に吊るし上げられて、俺の中で何かがブツっと切れた。それで、こうするしかなくなっちまった」
今思えばアイツらは、目の前のこの男ほど、信じる価値も意味もなかった。
「俺、全部失くしちまった。もう帰るとこさえなくなっちまった。俺はバカだよ。笑ってくれ……」

「ああ。派手にスッたな、お前。でもさ、何も負けてないよ。要らない手札を捨てただけ。お前は不義理なゲス野郎どもにも、ずっと不安だった自分にも打ち勝ったんだ。そんでもって、お前は生きてる。生きてりゃ丸儲けってのはまさにこのことだ」
日も落ちかけて辺りが夕闇に包まれ始めたのもあって猛烈に眠くて、何回か瞼を閉じかけていたのに、俺はまるで強烈な閃光が降り注いできたかのように目を醒ました。

「テメエの帰る場所はここにあるじゃねえか。ちゃんと目ェ見えてるか?」
ライバルが。ダチが。……俺のボスが。笑ってる。俺の手がその手に固く握られている。その後ろで奴の仲間たちが。……俺の仲間たちが。力強く微笑んでいる。
今初めて軍の一員として迎えられたっていうのに、やっと帰るべき場所に辿り着いたような。そんな感じがしてしょうがない。

「今日からここがお前の家だよ。おかえり。シンディ・ギャローズ」

堪えてたのに溢れた涙が傷に染みる。クソ痛え。俺、生きてる。ここに来るまでにずっと、色々痛かったけど、生きてここに帰って来られたんだ。
俺は、強かった。死なんて意識したこともなかった。でも今、死ぬのは絶対にゴメンだと思った。明日も明後日も、ずっとここにいたい。ここでこの人たちのために命を賭けていたい。

「ボス、みん、なっ……ただいま」





弾かれるようにして、俺は長くて鮮明な夢から目覚めた。
「うぁッ!?ビビったァ……」
でもあれは、夢じゃない。本当にあったことだ。
床に重く横たわる体の感覚。目玉だけ動かして素っ頓狂な声がした方を見ると、自分のこめかみが涙でひやりと濡れてる感触も戻ってくる。
「おっ、おはよ……」
見飽きるくらい見た、ハンサムなツラだ。奴は小屋が蒸し暑いからかインナー姿になり、裸の手で濡れた布を固く搾ってる最中だった。
小屋のモダンな内装。見慣れた天井。コイツとダラダラと駄弁ってそのまま寝落ちしたりして何回か泊まった場所だ。何もかも全部知ってる。何も変わらない風景なのに、確実に何かが変わったのだ。
これはきっと、俺が今まで迎えたことのない、新たな一日だ。

挨拶を返すタイミングを完全に見失った。おはよう以外にもコイツに伝えたいことが山ほどあるからだ。
「あっ、ちょっ!急に体を起こすな!」
少し体を動かすと、あまりにも滅茶苦茶な痛みが全身を駆け巡って、くぐもった声が出た。でも必死に歯を食い縛る。唇をきゅっと閉じる。コイツを前にして最初に発する言葉が痛えとかじゃ俺がヤダ。なんかちょっと赤ん坊じみてて馬鹿らしいけど。

「はあ……俺がやるなっつても何一つ聞かずにやるヤツだもんな。お前はさ」
その白い手が濡れた布で、俺の流した涙や滲んだ寝汗を拭ってくれる。その呆れて笑う糸みたいに細い目にはクマが刻まれていた。多分、いや絶対、俺の世話で迷惑を被ったのだ。いつもならああだこうだとネチネチ言って怒りをアピールするのにその力も残っていないようで、それを見て俺は、もう……。
一人で痛がってる場合じゃねえ。俺は、もう一人じゃないから。

「……ダイス!」
まず、名前を呼んだ。痛いけど、腕を動かしてその骨張った両肩を掴む。ボスでもよかったんだろうけど、今のアイツは何か……ボスっていう肩書きに追われてるような感じがしてしまったから。
「あ、……ありがとう」
これは今一番コイツに伝えたいことだった。

見たことない顔をしたなと思った瞬間、背中に両腕を回されてそっと撫でられる。あの日も、こんな風に抱き留められた。そんなに優しく触らなくても大丈夫なのに。肩口に触れた奴の顎はふるふると震えてた。痛くて腕が上げられないから、その背中に掛かる水色の髪を撫でてやった。
ライバルでありダチであっても、どこかお互いの間にあった隔たりが、今。取っ払われたような気がしている。


「お前さ、丸五日寝てたんだぞ」
「ああ、いつかね……迷惑掛けたな、ホントにごめ……イツカ!?」
「五だよ。ご」
「それは流石に俺でも分かるわ!ナメんな!」
「……もう二度と会えないのかと思ったんだぞ。ボスは」
「……心配かけてごめんな、ボス」
今は、太陽が高く昇る昼の時間帯だった。ボスが干し肉とあたたかいスープを用意してくれたので、一緒に昼食を摂った。美味い。空っぽの胃袋が食いモンを受け付けるか不安だったがいざ口に運ぶとスルスル食える。最後の晩餐ならぬ、最初の昼メシだ。

「お前、歩ける?」
「たった今目ェ覚ましたばっかだぜオイ!?入隊して早々パワハラの洗礼!?ん~まあ、ちょっとなら……?」
「じゃあまず、野郎どもに生存報告しようぜ。来いよ、シンディ」


俺の仲間たちに、五日ぶりに会った。五日ぶりだと感じてるのは俺だけで、みんな俺が眠ってる間に交代で世話をしてくれたり、様子を見に来てくれたりしていたらしかった。みんな、俺がちゃんと生きてる上に、目覚めたその日に歩いて自分たちに会いにきたことにとても驚いていた。みんな、まるで家族のように良くしてくれる。胸の奥がポカポカあたたかくて心地良かった。みんなを守りたくなった。この俺の有り余る馬鹿力を、みんなのために使いたいと思った。
もうここは、暗くない。洞窟のように、何一つ先が見通せないわけじゃない。もうここは俺だけの『道』じゃない。俺たちの『家』なのだ。
俺って、この場所を守るために生きてきたのかもしれない。


ボスに連れられてリストを見に行った。いつもしてたように上を見ると、そこでは驚くべきことが起きていた。俺はびっくりしてそのままひっくり返りそうになる。
「マジで!?俺の名前が、消されてる……!?」
「世界で二番目に強いお前が、世界で三番目に強い俺の元に下ったんだ。お前の名前がリストから消えるのは当然だろ」
シンディ・ギャローズ。その名前を横に一閃する赤い線。隣にいるコイツが今、俺がいた地位に就いてるのか……。ずっと誰にも揺るがされず、むしろビッグ・リンカーンの地位さえ奪ってやろうとも思ってさえいたので、俺は少し複雑な気持ちになっていた。
「ていうか、シンディ・ロードがあの壊滅状態だし、絶対俺死んだと思われてるじゃん……」
「いいんじゃね?俺や野郎ども以外、何人たりともこのことを知らないし。お前にもう逃げ場はないよ」
目がコワいぜ、ボス。お前ってそんな目もするのかよ。





怪我もかなりよくなった頃、ボスに呼ばれて行くと、みんな集まっていて、その前で誂えた軍服を着せられた。一着一着服を身に纏うたびに、小さく感嘆の声が上がる。なんか、かなりはずい。俺は何も聞かされていないのに……。

インナーも手袋も、張り付くみたいにピタッとしててイマイチ慣れない。軍服やブーツも、かなり身長がデカい俺にはやや窮屈に感じる。でも、悪くない。みんなと同じもので装備を固めたことで、改めて気が引き締まる。自分の軍の緑色の衣服さえ身に着けるのがなんとなく嫌で、上裸で過ごしていた頃よりずっと、俺が俺らしくいられる感じがする。

仕上げに金色の棘が付いた水色の肩パッドを装着される。いや……このふざけた肩パッド、見た目通り地味に重い。思わずウッと声が出た。肩凝りそう。刺さりそうで普通に危ないし。でも、装着する意味は少なからず感じる。放り投げたいなんて微塵も思わないから。

「おい、シンディ」
爪先ですぅっと背中を撫でられる。くすぐったさでピシッと背筋が伸びた。
「お前は俺の右腕だろ。しゃきっとしろ」
……みぎうで。
「おう」
声に出ちゃってた。イイ響きすぎて。
「俺でいいの?」
「お前がいいんだよ」
光栄すぎて俺は早々に殉職しそうだぜ、ボス……。

ボスが金色の瞳で俺を見つめて、自慢げに笑う。
「この晴れ着、おウチの外で見せびらかしに行くか、シンディ?お前の初仕事だぜ!楽しみだなァ?」
この場所で……コイツの隣で、これからも生きられるんだと思うと、こんな世界も輝いて見えるほどにワクワクする。興奮で頭に血が昇ってのぼせそうだ。

俺はコイツに惚れ込んだと言ってもいい。ボスに首ったけだ、マジで。
俺はどのみち宙ぶらりんになる運命だったらしい。でも、俺はこっちのがずっと、ずっと大好きだ。



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