夢でも貴方を想う

2025.03.07



僕は、フベルトさんから教えてもらった地動説に魅了されてから、寝ても覚めてもそのことばかり考えている。それは本当に呆れるくらい文字通りの意味だ。朝起きてから夜眠るまで常にぼんやりと頭の片隅で宇宙を思い描いてるし、眠っても星々が廻る大空の夢を見てる。でも、地動説は宇宙の全てじゃなくて、収束する秩序を体現する仮説の一つに過ぎない。その全てが手中に収まるのは一体いつになるのやら。手を伸ばしたはいいが、もはや、指先さえも掠っていないような手応えのなさ。僕はこの小さな体が張り裂けそうなほど、日々もどかしい思いを強いられている。

……まだこの王国からすら出たことがない無知な子供のバカな戯れ言だけど。
地球が動く夢を、見てみたい。

流れに身を任せてただ宇宙を漂いながら、びたりと止まって動かない白い星々の中、厳かに廻る地球を……気が済むまで見つめていたい。
地球が全ての中心ではないなんて説は、誰にも迂闊に話せないような異端思想だ。でも夢の中なら、宇宙はどこまでも広大で、自由だ。だから、僕は地球が動く夢を見たい。

さて、思い描いた通りの夢を見るためには、どうすればいいものか。
以前僕がインクとペンで描いた地動説の図が手元にあるが、これを……枕の下に忍ばせて眠る、とか?いや、寝返りを打つたびにわしゃわしゃと音がして眠れなさそうだし、情熱のままにしたためた大切なものだから、できれば皺を刻みたくない。

……寂しい。
こんな等身大の少年らしいことをああでもないこうでもないと考えていても、そのありのままを誰にも話せない。同じ屋根の下で暮らす、養父にさえも。
フベルトさんに、会いたいな。
もしかしたら彼といつも観測をしているあの場所にいけば、会えるかも。
僕は椅子から立ち上がり、何も持たずに薄暗い部屋を出た。





「フベルトさん!」
彼がひっそりといつもの場所に立っていたことよりも、自分の喉から飛び出した声の瑞々しさに驚いた。そして彼もまた、真っ黒な目を円くして僕を見ていた。
「会いたかった、です」
首の骨がぽき、と鳴くのも気にせず、僕よりずっとずっと大きい彼を見上げた。
初めて彼に会ったとき、彼は僕の仮面を見破るなり『作り笑顔なんてしなくてもいい』と言い放った。でも今、僕は本当に彼と会えたことに喜びが隠せなくて、心の底から笑っている。
「……私もだよ」
彼は脚を悪くしてしまっているのに、杖に体重を預けるようにしてわざわざ腰を屈めて、僕の頭をくしゃりと撫でた。大きくて、あたたかい手に、何か……救われたような気持ちになる。
「ここにいたら、もしかしたら君に会えるかもしれないと思っていたんだ」
毛先に黒が残った白髪が垂れたその隙間から、傷痕で引き攣れた唇の端をくっと吊り上げて笑う、まるで慈悲深い父親のような優しい顔が見えた。僕は……その美しさに何も言えなくなってしまった。

眩い月が出ていて、観測には適さない……それでも、溜め息が出るほど美しい満天の星空を見上げながら、傍に立つ彼に例の話を切り出す。
「……フベルトさんって、最近夢を見ましたか」
「見た」
「地球が動く夢、とか?」
「そうだ。だが、星空の夢ばかりだ。宇宙から地球を見下ろしているような夢は一度も見たことがない」
「わっ!そうなんですね!実は僕も同じで……でも、どうしてももっと壮大に地球が動く夢を見たくて。さっきも枕の下に地動説の図を忍ばせてみようかとか、色々考えたんですけど」
「……ふっ」
「わ、笑わないでください!」
「愛らしいから笑ってしまっただけだ。決して馬鹿にしたわけではない」
そう言うと彼は杖に掛ける体重を移動させながら、僕の手も借りずにゆっくりと地面に座り込み、そのまま草原に体を横たえた。

「枕の下に忍ばせずとも、ある。両の足で地面に立てば、その足元に。草原に寝転べばその頭を支えるように……全てはそこにあるのだ」
おいで、ラファウ。
フードが頭から首元にずり落ち、温和な表情がよく見えるようになった彼が、両腕を広げて優しい声で僕を呼ぶ。
どうしよう。こんな表現、絶対に表立って口に出しちゃいけないんだろうけど、神の寵愛を受ける天使になった気分だ。ドキドキして苦しいのに、どこか胸がすくような気持ちにもなる。
……僕は、ずっとこんな風に、彼の腕の中に飛び込むそのときを待ち侘びていたのだ。もう、堪えられない!

力の限り突進したい気持ちを抑えて、極めて性急な動作でしゃがみ込み、草の上を転がるようにして彼の胸元にそっと収まった。
デカい。硬い。骨張ってる。あったかい。
嬉しくて今すぐにでも両腕を回して力いっぱい抱きつきたいのに、その胸の奥で息づく鼓動を感じて、急に泣き出しそうな気持ちになってきた。体が石のように固まってしまっているのが自分でも分かる。
その手が軽く頭や肩、背中を撫でると少し気分が和らいできて、やっと顔を上げられた。

さっきと全く同じ星空を見ているのに、傍らの彼、それに風でしゃわしゃわと揺れる草原、その下の地面から地球のエネルギーのようなものを感じ取るだけで、もっともっと綺麗に見える。複雑な色味を感じる濃紺は吸い込まれるようで、白く繊細な輝きは瞬きしているようで……。
ああ、僕はこの美しい世界が好きだ。本当に。

夢を見ているみたいだ。
夢みたいだけど、地動説は夢物語なんかじゃない。
僕は、僕らはそう思う。命をかけてもいい。僕らはこの直感を信じたい。

「実は、私が昨晩見たのは、君とこうして星を見ている夢だった」
「は!?……えっ!?」
「その反応。君も、夢で何度か私に会ったとみえる」

「お互いの小さな頭蓋の中の宇宙がつながって、夢の中でも会えたというわけか」
ここに、君だけの宇宙が詰まっているんだな。
そう呟く彼の角張った指先が、僕の前髪をそっと撫で付けていく。
ロマンチックすぎて目が冴えてしまいそうな状況なのに、心が解けるような安心感に包まれているせいか、なんだか瞼が重くなってきた。

「……また、夢で会いましょう。そこでも一緒に観測しましょうよ。フベルトさん」
今の幸せな気分のままで寝たら、地球が動く夢が見られるかも……。
「ああ。また夢で会おう、ラファウ」
おやすみ。
前髪がそっと掻き分けられ、僕の額にかさついた唇が触れたのを感じた。





胸の奥をどっ、どっと叩く心臓の動きと全身に滲む汗で目を覚ました。こめかみや側頭部が冷たく濡れている。
力任せに握り込んだ右手。その痺れた指をゆっくりと開いていくと、オリオンのベルトが刻まれた彼のネックレスがそこにあった。決して離さないようにとしっかり巻き付けていた黒い紐が、手にくっきりと痛々しい痕を残していた。

今のは単なる夢じゃない。数日前に本当にあったことだ。
そして、彼が灼かれて死んだのも、夢じゃない。
……夢がよかった。

フベルトさん。
貴方は『不正解は無意味を意味しない』と言った。偶然にも僕と出会ってくれて、地動説の存在を教えてくれた。それは絶対に意味があることだったと心から思う。でも僕は、貴方の信じてきたものに不正解の烙印を押され、命まで奪われてしまったということが酷く痛く耐え難い。隣で同じ空を見上げていた僕にとって、あまりにも……。

僕は、貴方と同じく、この世界が好きだ。それを愛し、孤高に追究を続けた貴方ももちろん、愛していた。
貴方のいる美しい世界……宇宙を。貴方と共に生きたかった。



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