Dual Knives

2023.05.06  2023.05.11



太腿の上に、ずしりとした重みを感じる。大の大人の、硬くて分厚い頭蓋骨や、デカくて皺の多い脳の重みだ。目を閉じ、それを見ずとも、ありありと想像できる。
「ねぇ、ジョン」
耳障りな声。
思わず、俺の眉がぴくりと動く。
「うるせぇ」
「『うるせぇ』……じゃなくてさぁ」
ぴしゃりと一蹴したのに、奴は黙らない。俺そっくりの声色を作っておどけてまで、うざったく話かけてくる。
「ボク、膝枕してほしいんだよね~。胡座かくの止めて、正座するだけでいいの。正しく、座る。って書いて、正座。分かるよね?」
「うるせぇな。分かるって。俺が死ぬほど嫌だからやらねぇだけだよ、クソが」
「えー。ひど~い。ボクも首が、ぐに~ってなっててやなのに」
ああ、嫌だ嫌だ。鬱陶しい。ひとまず、こいつを黙らせる。
俺は、片方の脚を畳む。太腿の上の重みが少し浮いたのを感じながら、もう片方の脚も尻の下に滑り込ませる。俺が、文字通り正しく座ったのを確認すると、奴はまた、俺の太腿に重みを預ける。
「っはぁ~……膝枕サイコ~」
太腿の上で、石頭が岩のようにゴロゴロと転がる。
「ハァ……気は済んだかよ」
「なんでずっと目閉じてるの?ほら、こっち見て」
畜生。要求が、次から次へと。
うんざりしながら、俺は、静かに目を開けた。
弾かれたように、目を細める。
仮面の無機質な白。そこにこびり付いた紅。そこから覗く二つの青。光を返す艶のある黒。鮮やかな青紫。
「やっと見てくれた」
迷いなく奴の手が伸びて、俺の手を掴む。奴はそのまま、俺の掌を自分の胸の上に置いた。その色は皮肉にも、生気溢れるペールオレンジ。
何もない、真っ白な空間。そこで、俺たちだけが色付いている。
「やあ、ジョン」
「……おう」
一瞬のブレも見せない奴の瞳にまっすぐに見つめられながら、俺は呟いた。

俺のスラックスのポケットの中には、ナイフが隠されている。こいつが持つものと同じものだ。
本当は、こんなやつの言葉に応えなくていい。
本当は、こんなやつの体は突き飛ばしていい。
本当は、こんなやつなんて殺していい。
……こいつは、それだけのことをしたんだ。
「……ジョン?」
なのに。
「どうしたの」
なんで。
「どこか痛いの?」
どうして俺は泣いているんだ。

「いた、い……」
まるで、クソガキのような……こいつそっくりな声を、喉の奥から絞り出した。
「痛いっ……」
両目が熱くて、熱くて、耐えられなくて。俺は、腕でごしごしと乱雑に顔を拭った。
「……ほら、ジョン。どこがいたいの」
クソ。
優しい声を向けるな。
「ぜん、ぶっ……!」
今までに俺が犯した、罪の数々。
一人娘をこの手で殺した罪。
多くの人間を静寂の闇に沈めた罪。
こいつを止めようとしなかった罪。
淀んだ正義に溺れた罪。
この世界で息をするたびに、罪の欠片が、俺の体を内側からズタズタに傷付ける。
痛い。
一分、一秒。
全部、痛い。
「どうして、こうなったんだっ……!」
俺は、垂れ下がった髪をぐしゃりと掴んで叫んだ。
「なんでっ、俺なんだ!」

「ジョン」
やめろ。俺の名前を気安く呼ぶな。
「全部、おまえ、の、せいだ……!」
奴の手が、子どもをあやすようにポン、ポンと俺の手を叩く。
「っ……ちくしょう……!」
振り払う。突き飛ばす。深々と突き刺す。
そうすれば……。
なのに。
「なんで……!」
なんで俺の体は動かないんだ。

「はーっ……はぁっ……」
「落ち着いた?」
奴の手が、奴に覆い被さるように垂れた俺の頭を撫でる。勢いよく鼻を啜ると、強い鉄の臭いがした。
「……本当は」
「うん」
「夢の中でお前に会うたび、お前を殺せばって思ってた」
「うんうん」
「現実でも、何回も自分を殺すことを考えた。」
「そうだったの」
「でも、俺はしなかった。……できなかった」
顔を上げると、そこにはもう一人の俺がいた。
胸の奥。いや、もはや、何もない足元から、激しい感情が湧き出す。

「お、前と、なんてっ……!出会わなければっ……!こんな……っ!」
こんな。
こんな、未練がこれっぽっちも何も残っちゃいない世界に。
きつく繋ぎ止められることは決してなかったのに。

涙の膜を通してみた奴の色彩は、激しく滲んでいた。仮面の下に隠された表情すら、うかがい知ることはできない。
いつもなら口が回るくせに、気持ち悪いくらい静かになりやがって。俺一人、自分勝手にうんざりした。

「つらかったよね」
「黙れ、よ……!」
「この世界も、大切な一人娘までも、クソの山に堕ちていって。孤独だったよね。キミはずっと変わらないまま、まっすぐに生きてたのに、周りがどんどん変わっていっちゃうから……自分だけが変わってるみたいに思えてきたと思う」
「やめろ!」
もはや、俺が間違っているとか。こいつが間違っているとか。俺が正しいとか。こいつが正しいとか。俺の心には、そういうものが取り入る隙間さえない。
「キミのことを一番理解してあげられるのは、ボクだけだよ」
とっくに張り裂けた俺の心の隙間に、埋まっているもの。
「ボクだけは、ちゃんと分かってるよ。キミの孤独も、正義も」
それは、紛れもなくこいつだった。

「……ダリウス」
ようやく、その名を呼ぶ。
「なあに、ジョン」
奴が、俺の名を呼ぶ。

「一人に……しないでくれ」

俺たちは、二本のナイフだ。
肉を裂き、内部を破る、冷たい刃先。
滴り落ちる熱い血が、穢れを押し流す。
俺たちこそが、この世界に一発喰らわせるために生まれた、凶器。

鋭い銀色。
その高潔ともいえる色がいつも、錆びて朽ち果てる寸前の、俺の意識を呼び戻す。
激動が。血飛沫が。静寂が。
……こいつが、ただこいつが在ればいいと思った。

大丈夫だよ。
奴が微笑む。

「これからも二人だから」

俺たちは、笑った。

俺は、絶望に似た安堵に包まれながら、ずらされた仮面の隙間から覗く赤色に……ゆっくりと吸い寄せられていくのだった。



BACK