Lupinus
2024.07.10
「よいしょ~……っと」
ハイドロ仕様のアメ車でもないのに、人ひとりがドアを潜るだけで車体がぐわんと勢いよく弾む。それは、すっかり慣れた。
慣れないどころか初めてなのは、プライベートで、彼とふたりでここに来ていること。
ゆったりと体を包むブラウスとヒラヒラしたロングスカート。いつものスーツとは違う肌触りにどぎまぎする。
どうしよう。
私から誘ったけど、これって……デートよね。
「あっちゃん」
ほんの少しだけ運転席のドアが開いて、その隙間から彼が心配そうに顔を覗かせる。
「大丈夫?具合でも悪い?」
「……いえ」
「そう?それならいいけど。……ほら」
開いたよ。
彼は大きくドアを開けて、大きな胸を張って、はにかんだ。
「……開けた、でしょ」
彼の手を取って車から降りると、背中に羽が生えたみたいに心が躍っている。
もう、自分が何か変じゃないかとか、そういうのをいちいち気にすることさえ忘れてしまった。
天才科学者時田先生は、私の扱い方さえよく知ってくれているのね。
春に、多くの種類の花が咲くことで有名な公園。
話は結構聴くのに訪れたことがなくて……それに、少しでも研究の息抜きになれば嬉しいと思って、彼を誘った。
……聴いていた以上の美しさだった。微睡むような淡い色から、目が覚めるような鮮やかな色まで。誇るように咲いている。
駆け出すような風が吹き抜けて、揺れる花の中で周りを見渡すと、立ち止まっているはずなのにどこまでも流されていくような感覚に陥る。
……綺麗。
「あっ!ソフトクリーム!」
彼の大きな手が、私の手をがしっと掴んで優しく引いた。
「見て!キッチンカーが来てる!」
子どもみたいな眩しい笑顔。
「ここでソフトクリームを食べたら、きっといつもよりずっと美味しいよ!」
これは、夢じゃないのかしら。
現実の私は眠っていて、彼が私の夢に入ってきてくれたんじゃ?
本当に、夢みたい。
恐ろしいほど美しい場所で、ありえないほど幸せな気持ちになって、気付いたら私も、彼みたいに破顔していた。
「あっちゃんがいちご味頼むなんて、意外だねえ」
「そうかしら」
私がピンク色のソフトクリームのツノをちまちまと食んでいるうちに、彼が両手に持ったチョコソフトの片方はコーンを残して消えていた。
「はあ~……キッチンカーの近くにソフトクリーム型のでっかいサインが置いてあったから、アレくらい大きいのが食べられるのかと思って、ぬか喜びしちゃった……」
思わず吹き出しそうになる。ほんとにかわいいんだから。
気付いたらチョコソフトをふたつとも完食し手ぶらになっていた彼が、前を指し示して言った。
「……僕ね、お花はそこまで詳しくないけど、ここで見た中ではあのお花が一番好きだな」
その先では、天に昇っていく藤の花のような花弁をつけた白い花たちが静かに揺れていた。
「あっちゃんに似てて、かわいいと思ったから」
「……それに、ぷりぷりしてて美味しそう!」
私への気持ちが先に出たのに自分でも驚いたのだろう。彼の耳は薄く赤かった。
同じベンチに腰掛けてもなお、少し高い位置にある彼の髪をぽんぽんと撫でる。
「そうね。白以外の種は毒だから、気を付けてね」
「……うん!」
……凄く、安らかそうな顔。
彼を好きになって、彼に好かれて、私は幸せ。
この気持ちは、生半可なものじゃないの。切った花を花瓶に生けて眺めて満足するような、軽いものじゃない。
花が咲き終わって、乾いた茶色のさやになっても、種を大事に収穫して。次の年も、その先も、ずっと。ずっと大切に愛でていきたいと思うくらい尊いものなの。
覚めないまま、ずっとこの夢を見ていたい……いや、これから私の、私たちの大きな夢が叶うだろう。いずれ、想いが花を咲かせて、実を結んでいく。これは、眠っているときに見る夢でもなく、達成が困難な大きな目標でもない。紛れもなく、私たちを取り巻いている現実。そう確信している。
彼は、すぐ鼻先が触れそうなところまで来てくれている。あとは、私が素直に一歩踏み出せるかどうかにかかっている……わけだけど。
あの花たちを見ていたら、なんだかDCミニを思い出してしまった。
一刻も早く、立て続けに起きる事件の連鎖を食い止めなければ。
「まだ回ってないところ、いっぱいあるわよね」
やっとソフトクリームを完食した私は、立ち上がって、彼の手を引く。
「ほら。……行きましょ」
体重をかけて引っ張ってもびくともしなかったけど、彼はすぐにベンチを軋ませながら立ち上がった。
「うん!行こう!」
少し日が傾いた公園を、ふたり、跳ねるように歩き出す。
私は、いつも幸せ。
大好きよ。時田君。